ダッコチャン、フラフープ、エフワン
◆流行がやや納まった感がある。義援活動だ。義援活動を流行と切り捨ててしまうと、きちんとやっている人に失礼と思うが、1987年に、いわゆる”F1ブーム”が来たときに、新聞雑誌やテレビから取材を受ける毎に言っていた言葉を思い出した。
◆「こうしてあなた方が取材していただくのはとってもありがたいけれど、”ダッコチャン、フラフープ、エフワン”にならないようにお願いします」。日本人は、オレも含めて、熱しやすくて冷めやすい。情報に飛びついて反応する行動の瞬発力も素晴らしいが、降下も急角度だ。結果からいえば、多くのマスコミが、やっぱり、”ダッコチャン、フラフープ、エフワン”だった。
◆その昔、モナリザが上野美術館(だった?)に来た。パンダのリンリンとランランがやって来たとき(古っ!)もそうだったが、見物客が長蛇の列で、「結局、前の人の後頭部しか見えなかった」というジョークが出る大盛況だった。しかし、モナリザ展が終わった後に、日本の美術や芸術への意識レベルが高まったという話は聞かない。通りすぎただけだからだ。
◆震災に対する義援活動に、なんとなく同じ傾向を感じていたのだが、『SAVE JAPAN』の脇阪寿一の話を聞いて安心した。ちゃんとやっている人もいることがわかったからだ。まぁ、当たり前だが。
◆脇阪寿一に感心したのは、『SAVE JAPAN』立ち上げ以降、猛烈な勉強をしていたことが見えたからだった。当然、本業のレース活動をしながらだ。
◆”義援活動”と聞くと、金を集めたり、グッズを売ったり、もちろん、被災地でのお手伝いもあるが、実はそれぞれ、その裏の見えないとろで多くの人が動くことになるが、このことは忘れ勝ち。実は、オレもその一人だった。それが今頃、よく分かった。寿一は、そうしたことで起きるもろもろをすべて勉強によって掌握して行動していた。「義援金活動、真の愛情」という本を出せるほどの知識レベルに頭が下がった。
◆可夢偉がリストバンドを作って”500円以上”という魅力的な販売価格で売っている。”売り場”は『SAVE JAPAN』の活動の一環としてスーパーGTの会場があてられている。せっかくなので、通販はないのか、という質問の返事で、目からうろこがポロリと落ちた。寿一は、ずっと前から知っている寿一より、はるかに思慮深い男だった。
◆たとえば、『SAVE JAPAN』のTシャツをABCマートで売っている。”Tシャツを売ろう”、というアイデアは、プラス思考の持ち主なら考えられる。しかし、実際に売るとなると、誰かの手を煩わせることになる。さらに、直に義援金を集めてどこかに寄付するのと違って、一端どこか(ここではABCマート)にお金が入る。通販となると、送料がかかったり、梱包の手もかかるのは当然のこととして、税金やらなにやら、ついでに日本特有のあれやこれやのしがらみが絡み合い、その処理の問題が出る。だから、ABCマートでは、レジを別建てにしているのだそうだ。
◆そしてもっと感心したのは、可夢偉に対するとらえ方だった。「リストバンドどうこうよりも、彼はいま、時代を変えられるポジションにいる。だから、自分の仕事に集中しろと言いたい」。ジンと来た。”時代を変えられる”可能性を感じて、と同業者にエールを送る。先輩として、そして自動車レース人として、素晴らしい思考回路だ。
◆それぞれがそれぞれ、いまできることをすること。寿一は、『SAVE JAPAN』の活動を通して、モノの真理を悟ったのだ。いや、彼は最初からそうしたことが分かっていたのかもしれないが、今回のことで、少なくともオレに基本中の基本を気付かせてくれた。
◆できること、つまり自分の本分をしっかり実行する。これを継続することが、実は、本当の義援活動であることに気付かせてくれた脇阪寿一に脱帽&感謝m(_ _)m。
そういや、『SAVE JAPAN』は、最初から”できること”がテーマだった。