命の恩人
◆1983年のWECだったと思う。富士の最終コーナーで見物していた。ステファン・ヨハンソンの、200㎞/hオーバーのスリックタイヤでカウンター当てるクルクルパーなドライビングにしびれた。他にはカウンターを当てるドライバーはいなかったが、もっとクルクルパーがいた、ヨハンソンの相棒だったフィリップ・アリオーである。
◆アリオーがヨハンソンと交代した頃、オレは”第二のヨハンソン”を求めて、つまりカウンターステアを観られるんじゃないかと期待して、最終コーナーの金網にしがみついて、緩い勾配を駆け上がってストレートに加速して行くWECマシンを、クビを右から左に振りながら追っていた。とその時、”危ないっ!!”という絶叫が聞こえた。
◆ビックリしてマシンがやってくる方向を振り返った瞬間、腰が抜けた。伊太利ポルシェが、猛烈にでっかくなってオレの方に飛んできたのだ!!
振り返った瞬間の光景はこんな感じだった。マジです。
◆とっさに金網を突っぱねる格好で後ろに飛びのいた。逆さまになった伊太利ポルシェは、まさにオレがつかまっていた金網を直撃した。”危ないっ!!”と、一緒に観ていた宮坂さんが叫ばなければ、オレは伊太利ポルシェの下敷きになっていたのだ!!
◆アリオーがコクピットから無事に出てきたのを観て安心したが、なんかアゴが痛いぞ。なにかパーツでも当たったのかと思ったがどうやら、飛びのいた反動で、クビからぶら下げていたカメラがアゴを直撃したのであった。めでたしm(_ _)m。
◆しかし、めでたくないことも起きていた。オレより後ろで観ていた人が、まさに飛んできたパーツがアタマに当たって救急車で運ばれた。
◆ちなみに、最終コーナーでスピードガンを構えて通加速度を記録していたオートテクニック取材班の記録によると、それまで230㎞/hほどだった数字を、アリオーは大きく塗り替えて257㎞/hだった。曲がれないってm(_ _)m。
◆後日、裏返ってオレの金網を押しつぶした伊太利屋ポルシェの写真を現像してみたら、そこには、現場がいかにあわてていたかが写っていた。宮坂さんが、全部違う場所に写っていたのだった。
◆というわけで、改めて、憧れの、生沢徹さんのエンジニアだった宮坂宏さん、ありがとうございました。