初めての現場
◆1968年11月23日だったと思う。従兄弟のチューンド・パブリカに彼女(今の奥さん)と一緒に乗っけてもらって、初めて現場を拝んだ富士スピードウェイ。
◆ヘアピンで左回りの、スタートに備えるローリングをアングリと口を開けて観ていたオレは、スタートの瞬間、雷が落ちたかと思って仰天した。高校2年生の美少年(オレです)は、その瞬間に一生を棒に振ることになった(笑)。それがなければ、ここで友達になっている人の1/100にも会えなかったと思う。
▼こちら、大好きだったマーク・ダナヒューのマクラーレンM6B。ブッチギリのマクラーレン・ワークスに続くシリーズ3位。この”B”ってのが、なんだか創意と工夫があふれているイメージがして、こんなことにもカッコイイと思ったものだった。
◆そういう意味で、大好きなマーク・ダナヒュー(上の写真。1968年はリタイア)を初め、優勝したピーター・レブソンにも、名前が面白いのですぐ覚えたサム・ポージーにも、このとき来たかどうか覚えていないジョン・キャノンにも、これまたへんてこりんな名前で印象深かったローサ・モツェンバッハにも、もちろん、日本には来なかったCAN-AMチャンピオンのブルース・マクラーレンとデニス・ハルム、一番来てほしかったけど夢叶わなかったチャパラルのジム・ホールにも、一度拝みたかったペッチャンコのAVSシャドウにも、”ぶっつけ本番だが、自信はある”、というオートスポーツのコメントをみて、そうとう遅そうなマシンだけどなんだかワクワクと期待しちゃった勝常治(たったっけ)にも、もちろん、トヨタ・ワークスの鮒子田寛、福沢幸雄の面々にも、感謝しなくちゃm(_ _)m。
◆感激したオレは、翌年も日本CAN-AMに行きましたね。女優の松岡きっこさんを連れてパドックに来ていた津々見友彦さんに、高校の同級生の秋山(中野信治や佐藤琢磨のカート時代のエンジンチューナーとして名高いあのアルデックス・ジャパンの)のカローラの助手席に乗せてもらっただけじゃなくて、パドックパスまで借りてもらっちゃって、ショートテールのトヨタ7と、ムッチャかっこいい鮒子田寛さんのマクラーレン・トヨタやオートコーストTi22を間近で拝んだ。7歳のときに相模湖で溺れて一度脳死したオレの脳味噌は完璧に破壊され、人生はそこで完全に終わったのであった。鮒子田寛さん、責任取ってほしい(^^ゞ 。
◆昔はよかった、というのは懐古趣味じゃなくて、マジで昔は感動がたくさんあってよかったのだ。文章長い? スマン。写真がこれっきりなかったもんでm(_ _)m。もっとたくさんあるはずなので、今度探しておきますです。
▼こちらは、1969年。パドックで拝んだマシンは、超絶かっこよかったm(_ _)m。チタニウム製がうたい文句のオートコースとTi22。ジャック・オリバーが乗ってポールポジションからスタートしたが、川合稔のトヨタが優勝した。
▼そして、手前が、ちょっとしか見えなくてごめんなさいだが、オレの”青春”マクラーレン・トヨタ。紫色のストライプの猛烈にかっこいいマシンだった。クラウンもピンクやめて、紫に摺りゃよかったんじゃねぇのか?
後に鮒子田さんから聞くところによるとマクラーレンM12は、”それまで直して欲しいと言っていたところが全部直ったような素晴らしいシャシーだった”そうだ。かっこよくて眺めまくりまくりマクラーレン(^^ゞ 。
その向こうは、ゼッケン8の川合稔優勝車(トヨタ7)。それにしても、スタンドは、大入り満員だ。