「もっとクルマになる」
◆初代レガシィの発表会、会場がどこだったか忘れたが、忘れもしないのは、主任設計者の桂田勝さんの一言だった。
◆通常の発表会は、例えばサスペンション、例えばスタイリングの説明で、”どなたにでも気に入っていただける”という接頭語を着けるのが常套手段だ。最近はそんなバカなことを言うことはさすがになくなったかもしれないが、初代レガシィが発表された1989年ころは、そう言うのが常道だった。
◆スバルの新しい”レガシィ”というクルマの紹介で壇上に上った桂田さんは、訥弁だけれど素晴らしく説得力のある押し殺したような口調で、スタイルをこう言った。
◆「このスタイルは、運転席からの”見切り”を考えて、デザイナーとケンカして、決めました。デザイナーは、もっとエッジを下げたがった。でも、運転席からの見切りを考えると譲れなかった。結果としてこのデザインができたので、中には気に入っていただけない方がいらっしゃるかもしれません。しかし、そういう方は、我々と意見の違う方です」。
◆こんなに明快なコメントを聴いたことがなかった。見事だ。なんとも、アイデンティティにあふれる一言が衝撃的で、瞬間的に桂田さんのファンになった。
◆100式司令官偵察機が好きだ。格好もステキと思うが、偵察機として、敵陣に乗り込み、必要データを撮影したら、一目散に退散する。逃げ足を阻害する重量増を嫌って、機銃を積んでいなかったという。この潔さ。アイデンティティとはそういうものだと思う。追いすがる敵を狙撃する機銃を積みたい。しかし、その重量が増えるなら、その分軽くして逃げるが勝ち、という徹底思想。見事にかっこいい。桂田さんのレガシィにそれを感じた。”気に入っていただけない方もいらっしゃるかもしれません”と言い切る勇気に思わず拍手した。
◆サスペンションの話も同じだった。”どなたにでも気に入っていただけるサスペンション”なんてあり得ない。桂田さんは、”みんなの意見をまとめるのではなく、ひとりの意見で作りました”と言った。そのひとりとは、その後、名を成す辰己英治さん。ダートラのDクラスのトップランナーだった人物だ。
◆いや、彼の能力がどうこうではない。確かに辰己さんのサスペンションに対する感受性の高さと造詣の深さは衆知のとおりだが、そのことよりも、”ひとりに任せた”という桂田さんの一言にショックを受けた。みんなで渡れば怖くない、というビートたけしのギャグが流行った時代。そうして、”みんなで”戦後の復興をなし遂げた日本。なのに、”ひとりに任せた”という潔さに参った。
◆そしてもっとショッキングだったのは、会場を移して隣の部屋で拝見したCFだった。映像の内容は忘れたが、キャッチコピーはいまでも明確に覚えている。「もっとクルマになる」。なんてステキなフレーズなんだ。
◆あの、訥弁だけれど、誠意と熱意が込められた桂田さんを象徴するような、作りたいクルマが体現された素晴らしい言葉として、いまでも、クルマだけでなく、自分の人生にも通じる言葉として大切にしている。もっと○○になる。桂田さん、しかと受け止めました。心からご冥福をお祈りしますm(_ _)m。
(PHOTO SUBARU )