自動運転の基本的思考回路
酒飲んで運転しちゃいけないのは、最後に責任を取らなくちゃならないからでしょ!?
◆どこかでテスト中の”ぶつからないクルマ”がぶつかって、乗員が骨折などのケガをしたというニュースが流れた。4つの意味で、バカバカしい。
◆まず、流れたニュースの原稿を書いている担当者の無知がバカバカしい。自動的に停まるはずの装置が壊れてフェンスに当たって乗員二人が重傷だという。おいおい、自動停止装置が有効なのは、30km/hとかじゃないの? 30km/h以下でフェンスに当たって骨折したとしたら、その異常な状況にまずは焦点を当てるべきだ。報じる視点が完璧にズレている。
◆ふたつめは、そのニュースを見て、そのクルマを作ったマツダは大丈夫か、という心配をした世間がバカバカしい。骨折するほどのスピードでは、もともと自動ブレーキは効きはしないのだ。つまり、マツダであろうがどこであろうが、関係ない。
◆そして、みっめにバカバカしいのは、運転者の責任であることを忘れていることだ。クルマという道具が、レールがない道を走り、交差点もあるし対向車もいて、人が歩いているし自転車やバイクも走っている道路という名の”規制された部分”を走っていることを、みなさん忘れている。将来的には自動運転が可能だという意見がある。たしかにそうなるだろう。しかし、そのためには、インフラを完璧に整備しなければならない。さらに、別の課題もある。運転者が必要かどうかである。
◆”最後は運転者の責任”というなら、ポケ〜ッと運転席に座っている人が、いざというときだけなにか反応しなければならない。そんな器用なことができる人がいたらお目にかかりたい。
◆そこでたどり着くのが『自動運転』と『自己運転』の二極化だ。どっちつかずに両方を一色端にしているからいろいろ間違いも起きるし誤解や、ウソといってしまっていい”ぶつからないクルマ”というフレーズが出回る。
◆将来的に自動運転は可能だろう。しかし、自分で運転するクルマも残ってほしい。そのための二極化。7人乗れてぶつからなくて、というクルマも結構ですが、二人しか乗れないけれど、人生を豊にして、夢を見られるクルマもお忘れなきよう、お願いします。
(つづく)