多摩川スピードウェイは、日本の自動車のルーツだ!!
“あ〜、ここにいたかった!!”。盛況と、カルチャーショックの大絵巻。多摩川サーキットは、歴史的な場所だった!!
◆11月20日、東急東横線の多摩川駅前のせせらぎ公園の多目的ホールで開かれた多摩川スピードウェイの写真展を見物させていただいた。この日はプレスデーで、トークショーもある、というので覗いてみたら、思わず頭が下がる感動的な内容だった。
◆写真展の詳細は、回顧展のホームページをご覧いただくとして、ハートにズキンと響いたのは、トークショーでMCを務めたこの会(多摩川スピードウェイの会)の言い出しっぺの小林大樹さん(ご存じ小林彰太郎さんのご子息)の最後の一言だった。
◆小林さんが、多摩川スピードウェイに記念碑を建てたいと考えられているのだが、脳髄にダイレクトに響いたのは、”多摩川スピードウェイは、自動車関連の機械産業が盛んな大田区のルーツ、つまりは日本の自動車の源だったのではないか”、という説である。
◆多摩川スピードウェイは、戦前の、アジア唯一のレーシングコースであり、関係者の多くが、戦後の自動車産業の主導的ポジションに就くことになる。ホンダの創始者本田宗一郎しかり、Mr.フェアレディの片山豊しかり。つまり、この会の願いは、多摩川スピードウェイなくして日本の自動車工業界の発展はなかった。『これからも日本と、日本の自動車産業、モータースポーツが発展してゆくために』というのである!!
◆そして、世界的にみても、サーキットの観客席が残っているのは、多摩川だけ、という着目点もあった。だから、東急東横線の多摩川駅の横浜寄りの多摩川を渡った車窓からも見えるその観客席に記念碑を建てるのは、過去を偲ぶだけでなく、未来に夢をつなぐだめなのだった。
全員、子供のような笑顔。左上から時計回りに、MCの小林さん、会長の片山さん、小早川さん、太田さん。
◆興味深かったのは、トークショーに登壇した多摩川スピードウェイ縁のご子息全員が、素晴しい笑顔だったことだ。見学にいらした本田技研四代目社長の川本信彦さんは、隣の写真家の間瀬明さんといっしょにやっぱり笑顔で、本田宗一郎を称して、”三つ子の魂百までの人でしたからね”と仰った。そこに集まった決して若くはない方々全員が、まるで子供のような笑顔をしていた。クルマはこうでなくちゃ!!
◆自動車の存在を、”エコと減税とぶつからないクルマ”のコマーシャルでないがしろにしている場合ではないのだ。子供の純粋な夢を紡ぐ場所だった多摩川スピードウェイに触れるために、21日か22日には、是非とも多摩川駅前(改札から30秒)の田園調布せせらぎ公園の多目的ホールへ!!
※10時〜16時開館