古橋広之進とマン島TTレース
◆古橋広之進さんが亡くなった。80歳、7年前に亡くなった親父より年下だったことを知って、なんだか不思議な気分がした。
◆古橋さんは、実は日本のモーターレーシングに多少なりとも影響を与えた人だった。古橋さんがアメリカの世界水泳で金メダルを取ったのは、戦後の荒廃の中で日本がうちひしがれていた時だった。湯川秀樹のノーベル賞に続いて、古橋さんは日本人に勇気を与えたのだが、勇気をもらった中に、ホンダ技研の創始者である本田宗一郎さんもいた。古橋さんの金メダルで奮い立った宗一郎さんは、二代目社長の河島さんに、「オレもみんなを喜ばせるようなことができねぇかなぁ」と言ったそうだ。その数年後にあの”マン島宣言”が出され、そして1959年、ホンダはマン島のTTレースに打って出て、そして世界のホンダになったのである。当然、その勢いの先にF1参戦があることは言うまでもない。
◆本田宗一郎に影響を与えた古橋さんだから、勝手にずっと年配と思っていた。しかし考えてみれば、石川遼君がそうであるように、勇気をくれるのはなにも年配者とは限らない。てなことを考えて、不思議な気がしたのだった。