職人
◆最近、職人が見直されている気がする。なんだか嬉しい。
◆職人で思い出すのは、確かイタリアの小さな自動車メーカー。メーカーというには、名前を思い出せないほどの小さなガレージだった。当然、コスト的に儲かっていそうもないのだが、そのガレージを始めた理由が、「シートに使う皮の縫製職人や、アルミのボディをたたく板金職人に仕事を与えて、彼らのワザを後世に残すため」だった。なんと素晴しいことかと感激した。
◆しかし、逆もある。江東区の下町の小さな提灯工房をテレビが紹介していた。“息子さんを跡継ぎに?”というレポーターの質問に、提灯の竹ひごを造る職人のご主人は寂しそうに答えた。「需要はそれなりにあるし、そうしたいのだけれど、竹ヒゴを削るカンナを作ってくれる人がいなくなってしまって、もう削れないのです」。特殊なカンナの職人が消え、伝統工芸のワザが消える悲しい運命だった。
◆最近の提灯は、竹ヒゴではなくてプラスチックになっているのだろうか。プラスチックでも用は足りるけれど、なんか違う。風情とかそういうことではなくて、全体のバランスの中で、提灯は竹ひごだからだ。理屈ではなく、そういうものだ。
◆効率から考えると、プラスチックの方がはるかに簡単にできる。機械をセットしておけば、スイッチさえ押せば完成する。細かい作業用の刃物は要らなくなる。
◆コンビニエンスストアがそういう流れを象徴している。コンビニは、なんでもある文字どおり便利な店だが、実は、なんでもあるようでなんにもない。クルマも同じだ。便利になったクルマは、よく走るし燃費もいいけれど、何かがない。
◆物は完成したら終わりと思う。コンビニも自動車も、ある意味で完成の域にいる。最近、つぶれるコンビニが散見され、2030年には内燃機関がなくなると言われている。世の中のすべてが完成の域に近づいている。完成の後、日本、いや、地球はいったい、どうなっているのだろうか。
◆ところで、提灯記事という言い方があるけれど、竹ひごではない提灯は、提灯提灯て言うの?