一巡したブラックリーの“Hondaスパイラル”
◆つらつらと思い出してみた。今年も、メルセデスが強かった。その開発基地は、モーターレーシングの本場イギリスのブラックリーにあるが、御存じの通り、ロンドンの北北西約100km、シルバーストンから北東に10kmほどのそこは、元はといえば、ホンダの持ちモノだった。ちょっと複雑な心境になる。
◆ホンダは、1999年F1活動を開始したブリティッシュ・アメリカン・レーシング(BAR)にエンジンを供給していたが、2000年からホンダ・パワーの供給を受けており、事実上、ブラックリーのそのガレージは、元はといえばホンダF1計画そのものだった。
◆ブラックリーは、2006年にBARからホンダ・レーシングに移行し、2008年までジェンソン・バトンと佐藤琢磨を走らせ、2006年8月のハンガリーGPで優勝するなどの成績を残したが、ホンダの撤退で、2009年にロス・ブロウンがたった1ポンドで手に入れ、ブロウンGPとして1年間だけ参戦した。
◆この1年間は、ロス・ブロウンという英国人の長期戦略の見事さを証明することになった。ハイブリッドに移行する虚をつく形のノンハイブリッドチームとして、フェラーリなどのメーカーチームや、メーカーに密接な関係を持ち、ある意味発展途上のKARSを使わざるを得なかったチームをあざ笑うように、序盤の7戦で6勝、ジェンソン・バトンをワールドチャンピオンに押し上げたのだ。
◆当然のごとく、コンストラクターズ・タイトルもブロウンGPが手にしたが、実はロス・ブロウンの“策略”は、タイトルをとることではなく、タイトルはメルセデスへの手土産だった。ブロウンの計画どおり、2010年シーズンに、ブラックリーの基地は丸ごとメルセデスに売却されて、メルセデスGPに昇華。ブロウンはテクニカルダイレクターとして頂点に座った。ちなみに、約700名のスタッフのほぼ全員がそのまま現在もそこに通っている。
◆つまり、ホンダが築いたブラックリーは、ブラウンにそっくり利用されたのだ。2010年に“デビュー”したメルセデスは、ミハエル・シューマッハとニコ・ロズベルグがステアリングを握り、ニコ・ロズベルグが表彰台に3度登ってレッドブル、マクラーレン、フェラーリに次ぐシーズン4位。2011年は同じコンビで表彰台なしだったが、地道にポイントを集めて同じく4位。2012年にルノーに先を越されて5位に甘んじたが、2013年にはチャンピオンのレッドブルに次ぐ2番手に着け、2014年にはレッドブルをぶち抜いてチャンピオンに君臨、レッドブルがセバスチャン・フェッテルの手で4年連続チャンピオンを奪った後のF1の王者の座に居座り続けている。
◆2019年は、そのレッドブルにエンジンを供給し、先週のブラジルGPで、マックス・フェルスタッペンが優勝、2位にサテライトチームのトロロッソ・ホンダのピエール・ガスリーが入って、1991年の第二期F1以来の1-2。さらにガスリーは、最終ラップの最終コーナーでハミルトン+メルセデスの横からスルスルと抜けだしてホンダ・パワーのポテンシャルを、世界に伝えた。
◆時は巡り、スパイラルは一巡した。ポテンシャルは、確実にメルセデスを抜いている。レッドブル・ホンダがメルセデスをやっつける日は、もうすぐそこだ。
◆で、マジメな話にはオチが着く。