リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第91回
新装日本グランプリレース スタート!

鈴鹿から富士スピードウエイに移った日本GPは、超高速コースにふさわしいとされるビッグマシンが主流となったが、僅か3年で破綻。1970年代に入り“グランプリ”はフォーミュラカーでの開催になるものの、さまざな思惑や事情が交錯し乱流の中で次への芽吹きを待つことになってゆく。

◆新旧F2マシンの混走

----エキジビションレースから始まったフォーミュラカーレースが3年4年と地道な歩みの末、JAF GPからようやく日本GPに昇格する背景には三菱自動車が取り組んだ“本気のフォーミュラカーレース路線活動”なくしては日の目を見られなかったのではないかというリキさんのお話でしたが。

「ええ、そう言えるでしょうね」

----でも、日本GPの冠をフォーミュラカーレースにしよう、という動きが本格的になり始める時期が、丁度というか折悪しくといいますか、それまでの1600ccF2規定が2000ccに変わる動きと重なり、果たして日本はどう動くのか、また、東洋ではフォーミュラカーの歴史が長いマカオやシンガポールなどでは1600cc堅持の方針が固まっていた、などの話もありました。その辺りの混乱というか問題はどんな状況だったのでしょう?

「混乱というか、まだレース界では世界の片隅のような日本では(笑)F2というのは欧州の特権みたいなカテゴリーですから、正確にはどんな動きなのか解らなかった、というところではなかったでしょうか。第一に日本のフォーミュラカーチームというかオーナーは1600ccのマシンばかりなのと、2000ccへの移行は欧州でも混乱していたようですから、この時点では、いつから2000ccになるのか明確になっていなかったようです。だから現状の1600cc中心のGPになるのだろうな、といった予想というか安心、とくにボクなんか(笑)でしたが、、」

----えっ、な、なんなのですか(爆笑)。

「三菱さんが2000ccエンジンを開発した発表で様子が変わっちゃった(爆笑)。でも三菱だけが2000ccに先行したって他にはないのだから、一体どうなんのー、ですよ」

写真1

大排気量マシンの台頭で出番をなくしていた三菱が、ようやく重い腰を上げたのも、フォーミュラ路線の構築に一役買った。

----主催者のJAFとすれば、どっちの方向で?

「ゆくゆくは2000になるのだろうが、参加台数を増やさねばならない重要問題を考えれば、今のところは1600中心になるんじゃあないの、というのが普通の考えだったと思いますよ」

「コスワースの2000だって開発途中のようだし、辛うじて1598ccから1790ccへの排気量アップで対抗するしかないのですから。結局はGPⅠの1600ccと将来の2000ccのF2、前年のJAF GPと同じ形式での開催でした。ただ、出来うるなら2000ccに統一し、モタつく欧州を日本が牽引しよう!なんて、まさかそんな気持ち、あるわけねーな(爆笑)」

----結局、GPの冠つけても旧態依然で。

「それでも、フォーミュラカーによる初の日本GPである以上、2000cc主導でいきたい思いは強かったでしょうね。でも、欧州のF2でさえ足並みが揃っていないし、5月開催では欧州もシーズン幕開けですから彼らを招聘するのは難しい。そこで頼りになるのは、やはりタスマングループと見たのか、5台程の2000ccのF2に参加してもらうことで従来のフォーミュラカーレースとの違いを打ち出したように見られます」

----そこに昨年JAF GPのオープニングセレモニーで大会名誉総裁・高松宮宣仁親王の御前で選手宣誓を拒否した大罪(たいざい)(笑)で1年間の国内レース参加禁止処分を食らった汚名を晴らすべく(笑)、欧州でレース活動中の生沢徹がコスワースFVC1800cc搭載のロータス69F2とともに日本へ舞い戻ったり、三菱は永松、益子が新開発コルト2000で参加表明。また田中健二郎と風戸裕が三菱の従来のマシン(1600ccコルト)で陣営を固める。そしてのマックス・スチュワート、レオ・ゲオゲーガンなどお馴染みのタスマンの雄が2000ccマシンで、結構な参加内容に見えます。

「ははー、そうゆう見方は嬉しいですね。確かに2000ccクラス10台、1600ccクラス10台と半々ですがホンダS800エンジンや1000ccちょっとの手作りマシンはぐっと減ってきましたねー。それでも、粕谷勇がマツダのロータリー・エンジンをブラバムに積んで2000ccクラスにエントリーするなど新しい試みは、それから先のマシン造りに良い影響を与えるように思ったですねー」

----そう語られますと、この先の日本GPに向けて新たな息吹を感じはしますが、その反面、大馬力マシンが咆哮あげてスピードウエイを奮わした高橋国光や黒沢元治などの面々の出番がなくなったような寂しさがあります。

「ボクもそう感じます。ただ、どんどんモンスターマシン化への道を拡げたのは日産、トヨタの二社でしょ。それに瀧レーシングやリッチプライベートチームが挑んだって適うわけないし、1000ccや2000ccが入り込んで参加台数増やしたって内容濃いレースにはなりませんよ。確かにル・マンを代表的に欧米には大中小のマシンが入り乱れたレースは多いですが、クラス分けや勝敗のつけ方に工夫が施され、それなりの特色が見られますが、この時代の日本じゃあ、戦争中のB29爆撃機をプルプル追いかける日本の戦闘機みたいなもんですよ、ワッカルカナー(爆笑)どーも軍国少年はこんな記憶ばっかで(笑)」

----そうですね、注目されるのは4〜5人のドライバー、いや2〜3人ですかね(爆笑)。言われてみれば、確かにレース全体を物語る題材がないものが多かったですね。

「その暴れ回ったドライバーら、別に居なくなっちゃったわけではなくて(笑)、それなりの立場で活躍が続くのだけど、それがねー、ウチにはフォーミュラマシンがないからってピカイチのワークスドライバーはツーリングカーやGTカークラスに舞い戻って、こんどはそっちでメーカー対抗が再燃しちゃうんです、上手くいかねーもんだねー」

「メーカーがグループ7やレーシングスポーツカーに専念している間に、ツーリングやGTはプライベーターが出やすくなっていったのだけどねぇ」

----ホンダF1は論外として、三菱以外のメーカーはフォーミュラカーへの興味がないというのか、マシンが無いのではGTなどに力を入れるしかないのでしょう。

「まあ必然的にそうならざるを得ないでしょうが、フォーミュラカーレースはこの時代、ロータス、ブラバムを筆頭にクーパー、BRM、エルフィン、ミルドレン、フェラーリなどのF2シャーシーにロータスフォード始め多種のエンジンを搭載するシステムが進んでいましたのでシャーシーを入手すれば思い思いのマシンに仕上げられる特色があったのですが、この辺りの構造が未だ広まっていないこともありました。しかし、この数年後から、それまで、ぶつかって大クラッシュすれば必ずといって良いほど火災事故が起きたことへの対策に、フォーミュラカーシャーシーの構造が改革され、サーティーズ、シェブロン、ローラ、マクラーレン、マーチなどの新興シャーシーが現れ、2リットルエンジンの増加もあってフォーミュラカーが身近になったのでしょう、スポンサーチームも多くなってトップクラスドライバーの参加が見られるようになっていくのです」

----そうなると、彼らの居所確保からツーリングカーやGTへのメーカー対抗がリバイバルし出した新たな課題のようで(笑)。ところで、1600&2000混走の形態とはいえ、従来のグループ7やレーシングプロトの時代と違って、見た目もきれいで参加車のバランスもいいですね。ようやく日本にもレース先進国のようになれる気もしますが、正直申し上げて、どのマシンがどんな走りをしてどんな速さなのか、そういった予想というか先入観がわいてこない戸惑いはありました。

「仰るとおりです。ボクなんかも良く解りませんよ。ボディーデザインやエンジンの違いなどで、あれは速そうだ、あっちはどーなんだかなーって冷やかし的な感じも沸かないほど全車同一に見えて(笑)」

----リキさんがそう言って頂けると安心します(笑)。ですから、先ほどから1600がやがて2000になることへの混乱や諸事情は理解できますが、正直申し上げて、僅か400ccのエンジン排気量の違いってどうなんだろう、大した差がないように思えてならないのですが。

「うん、そこなんですよ、最初は全く見当がつかなかったのですが、その違い、ボクが一番詳しかったでしょうね」

----ええっ、どうゆうことなんでしょうか。

「これは前回かその前だったか、ボクがアルファロメオエンジンで1970年秋のマカオに挑み、20円ほどのボルト一本破損でエンジンオイル噴き出す火災事故でリタイヤの、思い出したくないレース(爆笑)にオーストラリアのトップクラスドライバーで、翌年にはF1にステップアップするというデュエター・クェスターがBMW2000㏄を持ち込んだのです」

----へーぇマカオでは早くも2000ですか。

「いやね、基本的には1600ccのF2で進んできて、1971年か1972年には新たな2000への移行は認めていたものの、それまでは1600堅持が暗黙の了解だったようですが、どうゆうわけかカラクリだかなんだか、突然のように2000規定での開催に変更されちゃったんだって。それで殆どのチームがレースボイコットしかかったらしいけれど、これもウヤムニャだったらしい」

「それで三菱も三度目の挑戦を断念したようだけど、ボクなんかどーでもいいやというより良く知らなかったから(笑)そのまま参加しちゃったけれどマカオ、シンガポール、タスマンの1600、1800エンジンクラスなんかお呼びでない断トツの速さ。公開練習中に敵情視察を試みたってピットに入れば直ぐに目隠しだからまったく見られない」

「でもコスワース1800の200〜210馬力に対しBMW2000は260馬力以上だって。なぜかといえば、前年にタスマンのケビン・バートレットの2500ccでのコースレコード新記録より4秒近く速いことからの算出らしい。とにかく1600とは論の外、速い!」

----やはり大きな差があるようですが、マカオのワインディング多いコースと富士のスピードコースでは、別の違いもあるのではないでしょうか。

「その通りです。前年の(1970年)JAF GPと今回の(1971年)日本GPでの予選争いタイムでの違いを解りやすく記すと、以下のようになります」

と、なって超高速コースでも2000は1600より2秒は速いですから、鈴鹿などのテクニカルコースでは、もっと大きな差がつくでしょう。

----それにしても、三菱2000の進化ぶりは凄いのと永松、益子とも同様のタイムで安定しているようですが、次回は、興味津々の決勝内容のお話が楽しみです!!


第九十一回・了 (取材・文:STINGER編集部)

制作:STINGER編集部
mys@f1-stinger.com


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