リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第14回
『CR72』と『CB72』を“公式データ”から比較する

ドリーム・レーシングジュニア
CR72(市販レーサー車)
ドリーム・スーパースポーツ
CB72(市販スポーツ車)
全長2000mm2000mm
全幅615 mm615mm
軸距1280mm1290mm
タイヤサイズ(F)2.75-182.75-18
タイヤサイズ(R)3.00-183.00-18
車重157kg153kg
燃料タンク14L14L
エンジン空冷4サイクル
パラレルツイン
DOHC 4バルブ
空冷4サイクル
パラレルツイン
OHC 2バルブ
ボア・ストローク54 x 54mm54 x 54mm
排気量247.4cc247cc
圧縮比10.59.5
潤滑方式ギヤ式オイルポンプ/ウエットサンプウエットサンプ
キャブレター京浜RP35 2個京浜PW22 2個
ミッションギヤ6段4段
最高出力25ps/9500rpm24ps/9000rpm
最大トルク2.06kgm/7500rpm2.06kgm/7500rpm
最高速度150km/h155km/h
価格50万円前後18.7万円

CR72(上)と、CB72。どちらがレーシングバージョンか一目瞭然だが、スペックは、CB72がいい勝負をしている。しかし、このデータは、運輸省を煙に巻いて“市販”の認可を取り付けるためのデータだった。

――リキさん、前回、比較してみるとおもしろいよ!ということで、いただいた資料から、『CR72』と『CB72』、この二機種のスペックを並べてみたんですが、価格以外はほとんど違わないような(笑)? さすがにミッションはレーサー仕様として“多段”になってるようですけど?

「うーん、そうなんですよ! この比較表で見る限り『CR72』はGPマシン並のエンジンを積んでいるのに、性能はドリーム・スーパースポーツ(CB72)とほとんど同じ。それと、これってぼくの見間違いかなあ(笑)、最高速度は何と──」

――あれっ! 市販車『CB』より遅いですね、『CR』の方が?(笑)

「ええ、遅い。ヘンですよねー(笑)。ただ、16000rpmの目盛りがあるタコメーター(エンジン回転計)には、とくに注意を促すかのように、12000から13000のところが精密な目盛りになっています。ゆえに、ここが最高出力を発揮する回転数だろうということは容易に推測できるんですが、そういった計算をすれば、このエンジンは40馬力(!)以上は確実ということになります」

「それなら、50万円の価値ありますけどね。といっても、かけそば一杯35円、カレーライス一皿50円の時代ですから、いまだったら、いくらなんでしょう?」

――かけそばは、いま300円前後、カレーライス一皿はだいたい400円というところでしょうか。仮に大雑把に「8倍」になっているとして単純計算すれば、50万円はざっと400万円ですね。また、市販スポーツ車の「18.7万」に対しては、およそ2.7倍です。250ccのスーパースポーツ・モデルがいま、いくらくらいでしょうか?

「45~60万円前後ですね。そして、公務員上級職の初任給は、この頃は1万5000円ほどでした」

――ははあ、それをモノサシにすると13倍以上ですね、今日のそれを20万とするなら。うーん、こういう“換算”には、いろんな要素が絡みますね……。

「1960年頃に市販されていたスバル360が約39万円でしたからね。だから、四輪すら超えるような値段です」

――それと、市販スポーツ『CB』の24馬力に対して、『CB』が25馬力というのも、これまたなかなか“渋い”というか(笑)。

「タコメーターといえば、ちょっとヤマハの話になりますが、ヤマハTD1のは数字表示でなく、A/B/Cという“領域”の表示でした。これはつまり、カモフラージュしてあったということです。仮に部外者がタコメーターを覗いても、回転数による出力の推測はできない。そんな見かけになってましたね」

――さすがヤマハ軍団、やることがプロっぽいですね(笑)。

「まぁね!(笑)でも、そういうことでいうなら、ホンダも十分に“クロウト”でした。上記の『CB』のデータ、その“デドコロ”は何かというと、あくまでも運輸省届け出の数値です。エンジン回転でもわかるように、ホンダの『CR72』は、本当は250ccとは思えない強大なパワーを持っていて、軽く200km/hあたりまでスピードが出る、そういうバイクでした」

「……そうなのですが、当時はいかにレース用といっても、市販するクルマは運輸省(当時)の型式認定を取らなくては販売ができなかった。そうなると、そんなモンスター的なオートバイを市販しようものなら、運輸省は絶対に許可しない。だから、一刻も早く市販車認定を取得するには、これはそんなに大したものではございません、単なるスポーツ車に毛が生えたようなものでございます、というのを強調する必要があったとも考えられます」

――あ、そういう視点! なるほど! 市販車と大して変わらない、だから売らせてください、と。そうすると、この“25馬力”というのも?

「いわゆる過少申告です。でも、そうまでして鈴鹿の開幕戦に間に合わせようとした気配があるものですから、この『CR72』の場合は、どうしても“TD1許すまじ”的なストーリーになってしまうのです」

――ホンダ『CR』というモデルの世界史的な価値ということについては、前回しっかり評価したつもりなので、ここをお読みの方なら、もはや、そういう皮相な見方はしていないと思います。……ただ、そういう“裏ワザ”をも駆使しての認可の獲得、これはスムーズに進んだのでしょうか?

「スムーズかどうかわかりませんが(笑)。でも、いくら昔といっても、運輸省の検査官だってわかりますよねえ、バレバレじゃないですか(笑)。ただ、市販レーサーという製品ですから、この状態では非力でおとなしいのですが、レース用にチューンすれば大馬力になります、これはそのベースモデルなので、という理屈は一応成り立ちますね(笑)」

――まあ、そういうことをしてでも、“秋の鈴鹿”に間に合わせたかった?

「ただね、当時(1950年代後半から60年代前半)のレース事情、メーカー事情ということから見ると、同じようなケースは、1959年の最後の“浅間火山レース”のときにもあったのです」

「このレースは、ヤマハのメーカーとしての出場はなかったのですが、ホンダはここで、世界初のDOHC16バルブ250cc、4気筒という『RC160』工場レーサーをデビューさせました」

――おお、250ccの“パラレル・フォア”ですね!

「この浅間のレースは8月下旬でしたが、ヤマハは7月に、日本では正真正銘の、本格的なスポーツ車である『YDS1』を発売し、それをチューンするためのレースキットも揃えました。したがって、ヤマハ・ファンのライダーやレーサーは、セミ・ワークスのような立場でこれに乗れることになります」

「対するホンダは、プレスフレームの250cc市販モデル『C70』をスポーツ型風にした『CS70』しかなかった」

第十四回・了 (取材・文:家村浩明)