リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第76回
話題豊富な国内初の本格フォーミュラレース--1969年JAF GP

◆幸先良いコルト勢

――前回は、ヨーロッパではなく、南半球のタスマン・シリーズのドライバーを招聘した1969年の春の日本GPは、バラエティーに富むマシンや話題の中、生沢さんがポールポジション、やりましたねー!!という内容のお話でしたが。

「いやいや、レースはゴールするまでワ・カ・ラ・ナ・イ(爆笑)。下記に予選結果を整理したリストを記しましたから参考にして下さい」

――生沢さんですが、例のウイング外したら速くなったということですが、タイムの変わりようは?

「決勝に臨む予選走行が始まるのですが、益子修・加藤爽平のコルトは1分58〜59秒台とタイムが上がらないのですね。前年(1968年5月)、日本GPのフォーミュラカークラス(日本スピードカップ)に日本のメーカーが初めて手がけたF2マシン・コルトF2Bが登場して一年の間に性能向上を図ったF2Cですが、前年と同レベルで一向にタイムが上がらないのです。生沢君を加えた3台のコルトはいずれも同じようなタイムしか出ないのですが、予選中盤になって生沢君が1分55秒台を記録し、益子、加藤より3.4秒も速いのです。同じコルトで、こうも違うのはどうしてなんだか?僕も良く解らないですが、一方タスマン勢も1分55秒台で走るようになるのですが、彼らのトップは2.5リッターエンジンですから、排気量が900㏄小さい生沢コルトと同格でしょう、マシンの強弱で見れば、従来の日本GPで見られなかったケースなんですよ」

――前回のお話にもありますように3台のコルトと言いましても、生沢さんは三菱ワークスではありませんからメーカーの特別な配慮、いや忖度が(爆笑)あったとは思えませんが。

「まあ、そういった立場ですね。ただ、ワークスのメカニックや技術者がマシンの整備に関わっているでしょうが彼の個人チームの形態ですから、ワークスを気遣わずに個人的な経験や工夫などをワークスマシンに注げる立場ですから、予選終盤では、それまで付けていたウイングを取り外したりして、最終的には1分53秒台を叩き出してしまうのです、それも2.5リッターマシンを1秒弱離して、翌日の決勝はPPです」

――ウイングを取り外したらタイムが上がった?ということですか、良く解りませんが。

「その通りで、ウイング取り外した効果がタイムアップに繋がったのかどうかは解りませんが、事実そういった行為の後でのタイムですし、タスマン勢の中にもウイングなしの方が良好だったようです。要するに、富士のコースでの高速走行による車体の不安定を予想して、ウイングによるダウンフォースを得ようと試みたものの、逆にウイングが空気抵抗の負荷になって速度が上がらない現象になったことは想像できますねー。いずれにしても予選結果は下記の内容になります」

――結果としては生沢さんが2.5リッターエンジンのマシンを寄せ付けずのPPとなってコルトF2Cの面目躍如といったところですが、他の2台のコルトは昨年とあまり変わらない性能みたいですねー、どういうことなんでしょう?

「僕に聞いたって知りませんよ(爆笑)。確かに大きな性能向上は見られませんね。いずれはヨーロッパのF2レースを目指すものと思ったり、それを裏付けるように、エンジン馬力も240PSは堅いとも聞いていましたからねー。一年前、加藤爽平、益子治らが乗ったコルトF2Bの最高タイムは1分57秒2、生沢のブラバムBT16フォードコスワースが1分57秒6で同格でした。それが今回のGPでも1分57秒4で、タイム上では全く進歩していないのです」

――へーえ、ぜんぜん知りませんでしたが、メーカーマシンでしょ、それが1年の間に更なる性能向上への開発がされたのかと思いましたが?

「そりゃー遊んでいた訳じゃないですよ(爆笑)。レーシングマシンというのは、エンジンの馬力は上がった、でも直ぐ壊れちゃうとか、コーナーリングは向上したけど直線スピードが上がらない、などなど、あちら立てればこちら立たず、の繰り返しで一年経ったからここまで伸びたなんて桜の木やコメ育てるふうにはいかないもんでね、あちこちいじくり回して前より悪くなっちゃったなんて普通なのね。 コルトだって社運かけているから、相手が2.5リッターだろうが3リッターだろうが狙うは総合優勝だけですよ。だから目いっぱいのことはしたのでしょうが」

――前回(№75)の話に生沢さんがコルトのエンジンは240馬力と聞いていたけれど、ちょっと??当て外れ、の話が出ていましたが。

「その高馬力の噂は聞いていましたけどねー、この時代のF2マシンは1600エンジンですから160馬力、リッター当たり百馬力が最低基準ですがF2レースを席捲し続けるフォードコスワースFVA(Four Valve TypeA)は約200〜220馬力と言われていましたから、仮に三菱が240馬力のエンジンなら富士SW始まって以来の最高タイムになりますし、おカネ払ったって乗せてくれー、になりますよ(爆笑)。まあ、そのくらい噂になるほど期待されたんでしょうね」

――そうなると予選タイムに表れる数字から見ればマシン性能は一年前のまま?

「いやっ、そうとは言えません。DOHCの4バルブのエンジン構造は変わっていないけれど、細部の工夫は当然で、パワーアップしていないなんてことは考えられないなー、240馬力はどうかしらないけど。要するに前年以上の性能向上はしていてもレース周回数が40周と延びたことで燃料タンクを増量した車重の増加は響いただろうね」

「レース結果から判断すれば、タスマン勢の純F2マシンの車重440㎏台に比べ、益子車を除く生沢、加藤のコルトは20〜30㎏重かった。この辺の課題もあるのかなー。ただ、生沢車がスペシャルマシンであるわけはないのに速いのはフォーミュラカーを知り尽くしている彼なりのマシン調整が活かされているように思うなー、まあ、ドライビングテクニックも違うしねー」

――テクニックの差は分かりますけど、同一のマシンでも微妙に違ったマシンになりますね。

「そういうことですね、車重やエンジン馬力がまったく同一でも、四つの車輪のキャンバー角やアライメント、タイヤ種類と空気圧、ギヤレシオなどなど、そのドライバーの操縦感覚、好み、癖などに応じたセッティングに仕上がっているかどうかで物凄く違うのです。それには、メカニックやマシン製作技術者にドライバーの意思が伝わり、具体化できる体制でないと無理だし、ドライバーも適切な説明力がないとね。とにかくフォーミュラカーって繊細なんです」

――そうなるとコルトが3台といっても、それぞれの状況が違っていた、ということになりますね。

「そういうことでしょうね、だから生沢車は他のコルトとはタイヤも違いますし、実際には使用しなかったけれど前後に二つのウイング付けたりね。いずれにしろ上記の予選結果が決勝でどうなったかハッキリしますよ」

◆好事魔多しのGP

――前に話されていますが、このGPは、40周/240㎞、現在のF1が300㎞強ですから、当時のフォーミュラカーレースの基準からは長距離になりますね。

「2.5リッターのタスマンでも、燃料タンクを大きくして、1.6リッターF2も50リッターくらいの増量タンクにしていますから、長距離といえますが、このレース距離が決勝で微妙に影響したようです」

――ところで、富士スピードウエイの1周6キロのコースを40周、日本初の本格的フォーミュラカーレースは、このストーリー冒頭にもありますが、大変な観客を集めていましたね。

「そうですね、7万5千人強と聞いていますから、前年の日産R381やローラT70などが走った日本GPの12万人には及びませんが、予想以上ではないでしょうか」

――とくに生沢車がポールポジションとなれば大変な騒ぎですね。

「そうです、第一列に並んだタスマンの2.5リッターマシンに囲まれてPPの生沢車が、スタートで遅れましたが、2番手をキープしながら1コーナーのバンクに入るまでは見えた。なにしろ、こっちはスタート出来ずのノホホンだから一等席で観客気分(爆笑)。今の時代なら場内に大型ビジョンがあって観客席でもレース展開が良く解るけれど、当時は全車がスタートしたらピット裏のヘアピンカーブが見える所に駆け寄って眺めるのですが、ヘアピン手前の100Rから姿を現したのは生沢車でしょ、観客席のどよめきが空気を切り裂くように響きましたよ」

――走りなれているバンクでトップを奪い返したんでしょうね。

「場内アナウンスによると、トップを走っていたタスマンのG.クーパー(エルフィン2.5リッター)が、バンクを下り右へのS字の横山コーナーに入る300Rで飛び出したんですね。それで生沢車がトップに立ち、K.バートレット(ミルドレン2.5リッター)とL.ゲオゲーガン(ロータス2.5リッター)、M.スチュワート(ミルドレン1.6リッター)に追われながらの周回で、コース上は落ち着き始めるのです」

――2台の2.5リッターマシンに混じって1.6リッターマシンがコンスタントに1分55秒台で走るのはきついですね。

「そうです、彼らより予選タイムが1秒弱速い生沢車でも2.5リッターマシンの安定力は解っているでしょうからね。ところがタスマン勢の雄と呼ばれるバートレットが5周もしない内にピットイン。代わってスチュアートと生沢の、1.6リッターマシン同士のトップ争いが続きます。早くも3台の2.5リッターマシンの内、残るのはL.ゲオゲーガン(ロータス39レプコ2.5リッター)1台ですから、こういう状況が続くと“2500㏄タスマンも大したこたーないなー”的雰囲気が場内に流れます」

――そうなると生沢車vsタスマン1.6リッターのF2同士のハンディなしマジな闘いが見えてきますが。

「そういうことですが、生沢車のコルトF2Cとフォード・ワゴットのエンジン搭載のミルドレン(正確にはブラバムBT23改造)のM.スチュアートの2車を見ていると、何となくスチュアートの方が目いっぱいの感じがしないのです。まあF2に多用されている英国フォードのエンジンをベースにしたコスワース・チューンやロータス・チューンのエンジンは、回転もエキゾーストサウンドも実に軽やかで、ワゴット(チューニングエンジニヤーの名前)エンジンも同じです。一方コルトF2Cのエンジンは、コスワースFVAに良く似ているが、いかにも頑丈そうな外観で排気音も乾ききった高い音量ですから、どうしても目いっぱい走っているように見えてしまうのです」

――コルトのエンジンは、それだけ馬力がある、ということではないのでしょうか。

「そうみえるのだけど、コーナーから立ち上がる加速と速度の延び、それと最終コーナーに現れホームストレッチに入るとスチュアートの方が速い。生沢車はバンクからS字コーナーでは強いみたい。そういった走りが何周か続くのだけど、やがて生沢車はトップ争いを止めたかのように、スチュアートを追う二番手を選んだような安定した走行シーンに変わり出したと思ったら、生沢車は周回三分の一辺りで突然ピットイン。何のトラブルか知らないけれど再スタートした時は、もう2周近い遅れ。もー生沢車の優勝も入賞も望みなしっ!」

――うーん、ガガガーンですね、でも他のコルトがいますよね。

「益子車、加藤車はセカンドグループをリードする位置に付けているけど再スタートした生沢車は再びピットインでおしまい、リタイヤ。生沢車無き後はM.スチュアート(1.6リッター)、L.ゲオゲーガン(2.5リッター)、R.レヴィス(1.6リッター)がトップ集団を作り、これを益子車、加藤車が追い、他の1リッター、1.6リッターの日本勢は早くも周回遅れ」

「やがてレース中盤でゲオゲーガンがスチュアートを抜いてトップに立ち、2.5リッターの強みを活かして独走態勢に入る頃、スチュアートがピットイン。どこのトラブルか解らないがトップが4〜5周する長い時間の後コースに戻ったものの最後尾グループに落ちた。これも悲劇だなー」

上・優勝のタスマン勢代表のレオ・ゲオゲーガン。2.5リッターの余裕で40周/240kmの長丁場を走りきった。下・1.6リッターで果敢にタスマン勢に挑んだ三菱コルトF2C。ホンダはF1で活躍していたが、国内では、三菱がフォーミュラカーの先駆けだった。

――想像以上の目まぐるしいレース展開ですね、この後もどんでん返しがあるわけですね。

「そんなにあったらホンダS8エンジンのF3クラスが優勝ですよ(爆笑)。首位争いのスチュアートが遅れた後、R.レヴィス、G.スコット、加藤の1.6リッターマシンが2.5リッターのゲオゲーガンを追うのだけれど、2.5リッターエンジン用の大容量ガソリンタンクが軽くなりだした頃、ゲオゲーガンは更にラップタイムを上げ、遂に1分52秒台のラップレコードを出すのです。これは前年の日本GPで、北野元君が記録したビッグマシンの日産R381と同格のタイムで、想像以上のフォーミュラカーの速さを多くの人が知るのです」

――そうなるコルトの加藤車、益子車へのどんでん返しは無し?

「煩いね、どんでんドンデンって(爆笑)。あっありましたねー、ホッとしますか(笑)。ゲオゲーガンが堂々と王道を行く間、加藤車の前にいたG.スコットが、ゴールまで残り数周でエンジンブローか何かでスローダウン、加藤車が3位に浮上します。この順位のままゴールするのだけれど、40周を走ったのは、優勝のL.ゲオゲーガン、2位のR.レヴィスまで、3位の加藤は1周遅れの39周、4位のG.スコットも39周、5位の益子は36周ですから、この結果をどう見るか、は、あなた次第」

――ふーむ、優勝のゲオゲーガンは2.5リッターエンジンですから別として、2位のR.レヴィスのマシンはブラバムBT23CのシャーシーにフォードコスワースFVAのエンジン、F2の代表的マシンですね。それも、いわゆる市販のエンジン&シャーシーのマシンがワークスマシンに一周の差をつけるとは、本場のF2のレベルを象徴するようですね。

「それは僕も痛感しますよ、まあ決勝結果を下記に記しますので夫々の見方があるでしょう。要するに、このJAF GPは、これからの日本のレース界に“フォーミュラカーレースとは”、の指標的役割を果たしたのではないでしょうか」

――いやービッグマシンばかりに目が向いていましたのでJAF GPって何んぼのもの、の思いがありましたが、内容の濃さにびっくりしました。

「それと、このJAF GPは、フォーミュラカーの話題だけでなく、特殊グランドツーリングカー(GTS)と特殊ツーリングカー(TS)の2クラスが併催されてね。GTSは、この時代フェアレディー2000とホンダS800の定番二車種だから興味薄かったけれど、TSは、トヨタ1600GTの後塵ばかり浴びていた日産が、市販のスカイライン2000GT-Rを満を持して送り込んだから、フォーミュラカーに負けず劣らずの話題で大変な騒ぎだったのです」

――スカイライン2000GT-Rの初陣ですね。

「30周のレースにトヨタ1600GTと日産スカイライン2000GT-Rだけで20台近く。いすゞベレット、トヨタカローラ、スプリンター、オースチンミニなどが加わった35台が決勝に進出しました。話題通りスカGとトヨタGTが中心の激しいレースになり、ゴール間近までスカイライン2000GTとトヨタ1600GTのトップ争いが続き、最初にゴールを切ったのは高橋晴邦選手(1600GT)、2位は篠原孝道選手(GT-R)だったけれど、高橋を追い抜こうとする篠原に対し、蛇行した高橋の走路妨害があった、とする抗議が出され、審査委員会の判定がもめにもめ、遂にこのクラスの表彰式も取りやめ、判定を出すのに数日かかった事件があったのです」

――結果は?

「結果では篠原孝道選手の優勝となったのですが、この当時、競技役員は各メーカー関連のクラブ所属者が多く、とくに競技長や審査委員長、車検委員長他、主要役員がどこ系だからとか誰々が競技規則を変えたのは某社の某車が有利になるように狙ったからだ、など、メーカーがらみの問題も多くてね。それも含めて、このJAF GPは、その後のGPのみならず、日本のモーターレーシングの方向転換を示唆するイベントだったような気がしますねー」

◆1969年(昭和44年)5月3日
JAF GP決勝結果(天候・晴/富士SW/40周

1. L.ゲオゲーガン ロータス39・レプコ740 1時間17分53秒/平均184.8km/h
2. L.レヴィス ブラバムBT23C・フォードコスワースFVA
3. 加藤爽平   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ 39周
4. G.スコット ボーウィンP3・フォード コスワースFVA 39周
5. 益子 治   三菱コルトF2‐C・三菱R39Ⅱ36周
6. 矢吹 圭三  ブラバムBT16・ホンダAS800E 36周
7. 風戸 裕   ラバムBT16・ホンダAS800E35周
8. 片桐昌夫   ブラバムBT16・三菱R28 34周
9. M.スチュワート ブラバムBT23ミルドン・フォード ワゴット 34周
10.横山 駿   JAC小関SPL・スバルEA52 31周
11.沢田 稔   デルMkⅢ・日産R 29周
12.浅岡重輝   ブラバム・いすゞG161W 27周
13.粕谷 勇   ロータス41・フォード ロータス 13周
14.生沢 徹   三菱コルトF2-C・三菱R39Ⅱ12周
15.G.クーパー  エルフィン600・レプコ740 9周
16.K.バートレット ミルドレン/アラン・アルファロメオ 3周
17.米山二郎   ブラバムBT16・フォード コスワース 3周
18.大久保力   ロータス41・フォード ロータス スタートせず
※最高ラップタイム:1分52秒6
平均191.7km/h=L.ゲオゲーガン レプコ・ロータス 2.5リッターV8



第七十六回・了 (取材・文:STINGER編集部)

制作:STINGER編集部
mys@f1-stinger.com


書籍カバー
【新刊のご案内】

力さんの新刊、絶賛発売中。

『無我夢走』(三栄書房)

高度成長で自動車産業が花開き、日本のレースが本格始動した1960年代中盤からのまさしく無我夢走を伝える必読の書。

詳細はこちら。
http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=9097