リキさんのレーシング日本史 マイ・ワンダフル・サーキットⅡ

鈴鹿から世界へ

第41回
『第二回日本グランプリ』が巻き起こした風

(1)“戦後メーカー”が老舗ブランドに勝利した!

――前回に続きまして、もう少し、「第二回GP」について伺っていきます。“いいレース/いいバトル”であったとしてピックアップしてくださったカテゴリーで、前回は主に、そのうちの「プリンス」が絡んだレースについてお話しいただきました。

「国内メーカー間のバトルが最もヒートアップしたレースというのは、実はツーリングカー・クラスの1301~1600ccクラスだったのです。そこで、トヨタ、いすゞ、プリンスが激突した」

――あらためて、その「T-Ⅴクラス」の結果を見ますと、首位から7位までをプリンスが独占というのはやはり凄いですね!

「まるで、ほかのメーカーがいなかったかのような(笑)結果ですが。三メーカー対決の、このカテゴリー。とくにトヨタは、前年のGP、このクラスをコロナで勝っていたディフェンディング・チャンピオンです。そこに、新たに『いすゞ』が出て来た」

「トヨタのコロナ、いすゞはベレット。ともに、1.5リッター級の小型車というマーケットでの戦略機種です。とくにいすゞは、新型の投入でこのクラスに進出しようとしていた。ネーミングも、2リッター級ベレルの小型版という意味での『ベレット』という名前で、いすゞの野心満々というところですよね」

――そういうクラスで、表彰台どころか上位すべて独占というのは?

「素晴らしいというか、二社にとってはたまらないというか(笑)」

――内容的にも、ポールポジション、そしてファステストラップ、みんなプリンス勢ですね。

「ドライバーのメンツも揃っていましたね。ポールが杉田幸朗君で、走りながらクルマの調子を上げていったテツ(生沢徹)が、杉田君を交わして決勝レースでは優勝。そして大石秀夫君、砂子義一君らが続いていて、ファステストラップはテツと砂子君の二人」

「また、『T-VI』クラス、1601~2000ccのツーリングカーもそうですね。トヨタのクラウン、ニッサンのセドリック、いすゞのベレルと揃ったクラスに、プリンスがグロリアで挑戦した。ここは四メーカーの激突です。ここでも、エンジン・パワーでプリンス勢が圧倒した。ポールもファステストラップもグロリア。それに何とか食らいついていったのは、式場壮吉のクラウンだけかな。式場君が3位をゲットして、レースはグロリアのワンツー。優勝は大石秀夫選手でした」

――戦前からの老舗ブランド三つに、戦後登場の新興メイクス(プリンス)が挑んで、そして完勝したのが、このグランプリ?

「“旧・中島飛行機”系の自動車メーカーは、このGPで、スバル(富士重工)もプリンスも、ともに勝利したということになります」

――プリンスとスバルは、戦後、ゼロ戦始め、数々の名飛行機を生み出した中島飛行機から分離して自動車製造に乗り出したメーカーですね?

「ええ、多くの飛行機技術者がクルマ造りにかかわったことが大きな特徴で、斬新な技術力に共通するのは、飛行機製造技術と考え方でした」

――それを自動車製造に持ち込んだ、ということですね!!

「そういうことです」

◆T-VI結果(20周/1601~2000cc/参加43台/予選参加42台/決勝出走30台/完走22台)

 1  大石秀夫  プリンス・グロリアS41   1:00'10.6
 2  杉田幸朗  プリンス・グロリアS41   1:00'16.9
 3  式場壮吉  トヨペット・クラウンRS40 1:00'25.9
 4  横山 達  プリンス・グロリアS41   1:00'30.9
 5  寺西孝利  トヨペット・クラウンRS40 1:01'12.7
 6  多賀弘明  トヨペット・クラウンRS40 1:01'25.3

*ポールポジション:2'56.4(生沢徹/グロリア)
*ファステストラップ:2'57.8(古平勝/グロリア) 18周目


◆T-V(15周/1301~1600cc/参加33台/予選参加33台/決勝出走30台/完走24台)

 1  生沢 徹  プリンス・スカイライン1500  44'45.6
 2  杉田幸朗  プリンス・スカイライン1500  44'46.3
 3  大石秀夫  プリンス・スカイライン1500  44'46.6
 4  砂子義一  プリンス・スカイライン1500  44'47.3
 5  殿井宣行  プリンス・スカイライン1500  45'01.0
 6  須田祐弘  プリンス・スカイライン1500  45'01.2

*ポールポジション:2'58.6(杉田幸朗/スカイライン)
*ファステストラップ:2'55.0(生沢徹/スカイライン=10周目)
 &(砂子義一/スカイライン=14周目)

(2)「F1」につながるホンダの動向

――そしてリキさんは、このGPでは『GT-Ⅰ』クラスがとても重要であったと?

「そうです。レース内容という点では大したことはありませんでしたが、その後のレース史とホンダの動向という意味で非常に重要なレースが、このGPで行なわれました。それが1000cc以下の『GT-Ⅰ』クラスです」

――マーコスというマシンが参戦したレースですね。

「ええ。英国から、マイケル・ナイトという選手と一緒に、そのマシンがやって来た。マーコスは“ベニヤ”で出来ていたという意味でも衝撃でしたが、それ以上に、レース専用に作られたクルマということが強烈なインパクトだった。当時の日本メーカーで“やれた”のは、市販車をレース用に改造することでしたからね」

◆GT-I結果(12周/1000cc以下/参加22台/予選参加21台/決勝出走21台/完走19台)

 1 ロニー・バックナム ホンダS600  36'28.9
 2 北野元       ホンダS600  36'30.1
 3 島崎貞夫      ホンダS600  36'51.0
 4 漆山伍郎      ホンダS600  37'04.2
 5 マイケル・ナイト  マルコGT    36'15.0+1'
 6 古我信生      ホンダS600  37'29.5

*ポールポジション記録:2'56.4(マイケル・ナイト/マーコス)
*ファステストラップ:2'53.6(マイケル・ナイト/マーコス=2周目)


「まあ、このナイト選手はそのスタートがフライングと認定されて、一分加算というペナルティ。結局、優勝はできなかったんですが、そんなことはどうでもよくて(笑)。重要なのは、このレースで誰が何に乗ったか?」

――といいますと?

「ホンダのS600で出場したドライバーに、北野元と島崎貞夫がいます。二人とも、ホンダ二輪のワークス・ライダーですね。公的な場で彼らが四輪に乗ったのは、この『第二回GP』が初めてだったんじゃないかな」

第2回日本GPが開催されたのは、まさにホンダがF1に挑戦を開始したその年だった。写真は、第2回グランプリでクラス1~4位を独占したうち2台のS600を改良して挑んだ、9月のADAC6時間(ニュルブルクリンク)をスタートするデニス・フルムのS600。

――そうかぁ。北野選手は、ニッサン・ワークスの……というイメージが強いですけど、四輪では、まずホンダに乗ったんですね!

「そして、ナイト選手のペナルティで繰り上げ優勝となったロニー・バックナムは──」

――ええ! ホンダが第一期にF1に出ていったときの。

「その通り。ホンダは、この『第二回GP』の年から、いよいよ四輪の、それも最高峰のF1レースに参戦しますが、そのときのパイロットはバックナムでした。ホンダがこの『1964年』に、いったい何をしていたのか。そのことを、このエントリーリストとこのリザルトは静かに──いや、雄弁にかな(笑)、語っているわけです」

――そうですねえ!

「純レーシングマシンのマーコスなんかを見ても、他メーカーと違って、ホンダだけはあまり驚かなかったかもしれないですね。……というのは、この時点でもう、社内には自前のF1マシンがあったはずだから。北野君にしても島崎君にしても、当然、そのマシンには触れていたでしょう」

「第二回の日本グランプリで、“ニュース”であったのはポルシェ904の襲来だけじゃない。それ以上に重要なレース、大事な宣言が、実は《鈴鹿》で行なわれていた。ホンダの本格的な四輪レースへの進出、それが表明された機会と場である。『第二回GP』は、このように記憶されるべきなのです」

「その『表明』も、ホンダはこれからは、レースは二輪だけじゃなくて四輪もやりますよとか、そういったレベルじゃなかったわけですね、みなさんご存じのように。いきなり海外レース、それもF1!(笑)……この“全地球志向”というのか、このスピリットはいかにも本田(宗一郎)さんですね」

――そういえば、二輪でも?

「そう、二輪でも最初に、GPの中でも最もマシンに対して厳しいレースである『マン島TT』に挑戦しました。世界に行く、それもターゲットは頂点! この時期のホンダは、その見ているものというか、その発想のスケールが本当に大きかった」

――鈴鹿サーキットにしても、そうですよね。

「ええ。高速道路がなかった国にね、一私企業が、クルマやオートバイはこんなにも速く走れるんですよ、凄い世界があるんですよと《鈴鹿》を造った。この施設ができて、その後の日本のクルマとバイクがどんなに進化したか。歴史を作るというのはこういうことですよね。そんな“時間”にリアルタイムで立ち会えたぼくも、幸運で、そして幸せでした」

鈴鹿サーキットの完成によって、日本のモーターレーシング関係者の視野は海外に広がった。触発された一人に、リキさんがいたのである。

第四十一回・了 (取材・文:家村浩明)

※本ストーリーは、奇数月末から偶数月上旬にかけて更新予定です。
……次回の更新は、11月末を予定していいます。

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